二十一世紀の平家物語(其の三・「祇王」から「殿下乗合」まで)

平家物語第一巻「祇王」から「殿下乗合」までは一話完結の挿話のような話が主となります。

 

祇王

 清盛の寵愛を受けていた白拍子祇王は、 清盛が白拍子・仏に心を移したことにより彼の屋敷から退くこととなる。いずれはそのような別れを迎えると祇王もあらかじめ覚悟していたものの、悲しみで涙に沈むのであった。

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 その後清盛は祇王を再び自らの屋敷に招く。それは彼と仏の前で祇王に今様を歌わせるためであった。その後祇王は生きていることをつらく思い、身投げして果てることを決心する。祇王の母・とぢは涙ながらの説得で祇王の自害を止める。祇王は思い直して尼となり、妹の祇女と母とぢも彼女に続き出家する。

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 祇王母子は嵯峨の奥の山里で念仏を唱え来世の幸福を願う生活を続けていた。そこに尼となった仏御前が現れる。仏御前は、かつて祇王が清盛と自分の前に連れてこられて今様を歌わされた姿を見て出家を決意したのであった。祇王は仏御前を快く受け入れて、共に念仏に明け暮れる日々を過ごした。  

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二代后

近衛天皇の后・藤原多子(大宮)は、近衛天皇崩御により太皇太后となっていたが、天下第一の美人との評判であった。時の帝、二条天皇は半ば強引に大宮を自分に入内させ、彼女は期せずして先例のない二代の后となった。

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額打論

1165年、二条天皇は病にかかり、息子の順仁親王(後の六条天皇)に位を譲り、同年7月に崩御する。その御葬送の時、奈良の興福寺と京都の延暦寺は、寺の額を墓所に掛ける順番をきっかけに争いを起こす。ついに興福寺側の悪僧が、延暦寺の額を散々に打ち割ってしまう。

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清水寺炎上

奈良の興福寺に怒りを覚えた比叡山の大衆たちは、興福寺の末寺である清水寺を焼き討ちする。

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東宮

1168年、わずか五歳の六条天皇は、東宮(春宮)・憲仁親王に譲位して上皇となる。憲仁親王、後の高倉天皇は、清盛の妻・時子の妹である平滋子(しげこ)の子であったので、いよいよ平家は栄華を極めるのであった。

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殿下乗合

清盛の孫・平資盛(すけもり)は、摂政・藤原基房(松殿)に非礼な振る舞いをする。基房はそれに付けこみ資盛に恥辱を与える。その出来事を聞いて激怒した清盛は、手勢たちに基房の御出を待ち伏せさせて彼の一行に乱暴を加える。

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