二十一世紀の平家物語(其の六・「赦文」から「法皇被流」まで)

平清盛の娘・中宮徳子が皇子(後の安徳天皇)を出産し、平家にとって最高の時が訪れます。しかし、その後清盛の嫡男・平重盛が病に伏し死の床へ着くのでした。平家物語の中では、重盛は清盛を諫めることの出来る優れた人物として描かれています。

 

赦文
治承2年(1178年)、入道相国・平清盛の娘であり、高倉天皇中宮である建礼門院徳子が懐妊する。出産の無事を祈るため、物の怪や怨霊を慰めたり、非常の恩赦が行われる。とりわけ先の鹿ケ谷事件で鬼界ヶ島に流された丹波少将成経、康頼法師、俊寛法師の扱いが話題となる。

https://youtu.be/_LrpyyEYybQ

 

足摺
都からのお使いが鬼界ヶ島に到着する。俊寛は大いに喜ぶが、赦されて都へ変えることができるのは、成経と康頼のみであった。俊寛は人目も知らず泣き悶えるが、一人島に取り残されるのであった。

https://youtu.be/tPYrWlmASy8

 

御産
中宮徳子の出産がいよいよとなった時、御産平安と皇子誕生を願い多くの寺社で祈祷が行われる。清盛夫妻も慌てふためき、後白河法皇も祈りを捧げる。中宮は無事皇子を産み、一同は悦びの声をあげた。

https://youtu.be/t3nuRgw_k2g

 

大塔建立
平家が安芸の厳島の信仰を始めたのは、清盛が安芸守の頃、高野山の多宝塔の修理を命じられたことがきっかけであった。六年がかりの修理が終わり、清盛は高野山へ登り奥の院で不思議な老僧と出会い、厳島の修理を頼まれる。鳥羽院からの許可を得て厳島の社を建て替えると、清盛は夢枕に大明神の使いから託宣を受けるのであった。

https://youtu.be/xFZh2DoRSGc

 

辻風
都に辻風が吹き渡り多くの被害が出る。神祇官の占いによると、天下の重大時、戦乱の予兆だという。

https://youtu.be/nyMeqZQSU1E

 

医師問答
清盛の嫡男・重盛が病の床につく。心配した清盛は宋から来た名医に治療をさせようと提案するが、重盛はそれを断る。死ぬ運命にある時は治療を施しても無駄で、宋の医術を受けるのは国の恥だというのが彼の理由であった。重盛は四十三歳で生涯を終えた。

https://youtu.be/vdwSn1JWnBE

 

法印問答
重盛に先立たれた清盛は、いったん福原に戻り大軍を率いて京都へ戻る。後白河法皇は故少納言入道信西の息子・静憲法印を清盛の許へ遣わす。清盛は後白河法皇の度々の行動や決定へ苦言を呈するが、静憲法印はそれを聞き入れながらもうまく宥めようとする。

https://youtu.be/Ba5KbiBWUG0

 

法皇被流
さらに清盛は後白河法皇も鳥羽殿(現在の京都市伏見区)へ幽閉してしまう。静憲法印は清盛の許可を得て後白河法皇の様子を見に行くが、あまりの悲しさに涙を流す。

https://youtu.be/15mdlczJNhI

 

公卿揃」、「頼豪」から「僧都死去」まで、「無文」から「金渡」まで、「大臣流罪」、「行隆之沙汰」、「城南之離宮」は未収録です。

 

【参考】
新編日本古典文学全集45 平家物語1(校注・訳 市古貞次、小学館