価値あるものに対価を払う

2018年の3月のある日、朝のTVニュースが特集で高校生が仏像のレプリカを3Dプリンターで作成して地域の寺に無償で奉納したことを紹介していました。

 

高校生が自らの技術力で地域貢献をしたという美談として紹介されていましたが、私にとってはやや疑問の残るものでした。

 

事実誤認があれば訂正しますが、高校生たちが『無償で』作業に従事した、ということにどうも納得がいかないのです。

 

生徒たちが、仏像を作ることを通して3Dプリンターの技術を身につけるだけでなく、作ったことへの対価を得ることも学んで一区切り、という形が望ましい教育であったと感じます。

 

寺側(もしくは仏像のレプリカ作成を呼びかけた博物館側)は給料とまではいかなくてもお礼代は払うべきだったし、高校生側も仏像代と作成のために従事した労働力代を1円でもいいから請求すべきだったと思います。

 

もし給料をもらうことに後ろめたさを感じるのであれば、そのお金をそのままお賽銭箱に入れれば済む話です。

 

『無償の』地域貢献は一時の感動を呼ぶものではあっても、長続きするものとは思えません。

 

労働力のように目に見えず形のない価値、また仏像のように目に見え形のある価値に対価を払うから地域貢献の輪は回り、地域は活性化するのではないでしょうか。

 

『無償』や『ボランティア』は尊い響きを持つ言葉ですが、価値あるものに対価を払うという意識も醸造していきたいものです。