読書感想文『人間の建設』(岡潔・小林秀雄)[新潮社]その二

*数学も個性を失う 

 

 この頃の数学は内容のない抽象的な観念になりつつある、と語る岡に対し、そもそも数学のいろいろな式の世界や数の世界を素人にもわかるような言葉に直せないのか、と小林は尋ねます。

 

それに対し岡は、できる限りの言葉で説明しているのだが、一つの言葉を理解するためには前の言葉を理解しなければならない、と答えます。

 

 ここで岡が言っているのは数学の用語の定義の重要性でしょう。

 

例えば『ヒルベルト空間』という言葉の定義は、『完備な内積空間』です。関数解析を学んだことのない方は、「完備って何だ?」「内積空間とは一体?」という疑問を持たれると思います。そこでさらに『完備』という言葉の定義を調べ、『ノルム空間Xの任意のコーシー列がXの点に収束すること』という答えを見て「ノルム空間って何だ?」「コーシー列とは一体?」・・・以下はその繰り返しになるでしょう。

 

ヒルベルト空間』という概念一つを正しく理解して使うために、その前段階の概念を理解する必要があるのです。

 

ですから岡は、我々にも分かるように数学を説明できないのか、という小林の疑問をやんわりと否定したのです。

 

 さらに岡は「大学院のマスターコースまでの知識がないと、新しい論文は読めないというのが現状」と続けます。ある体系を学習してまた次の体系へ進むのが数学である、と感じていた私にとっては衝撃的な発言でした。そこまですませなければ、「一九三〇年以後の、最近三十年間の論文は読ませることができない」というのです。この対談が行われたのが1965年と考えると、この感想文を書いている2018年の数学は一体どうなっているのでしょうか。

 

 数学の新しい概念を学ぶためには前段階の準備が必要であり、その準備のために時間がかかりすぎるようになっている。数学の発展の仕方に対する岡の警告じみた考えを読み取ると、自然科学の基礎研究の発展の仕方にも同じことがいえるのではないか、と思わずにはいられませんでした。