自分の所属学会が『共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」』に参加していた話

この記事は、『共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」』に関して、私と日本数理生物学会(以下JSMB)事務局とのやり取りを記録したものです。

 

私は博士課程後期の学生で、JSMBに所属しています。2020年11月17日に以下のサイト

参加学協会 | 学会活動 | 一般社団法人 日本物理学会 (2020年11月17日に確認)

を見て、JSMBが2020年10月20日に『共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」』に参加表明したことを発見しました。

 

所属している学会が、この声明に参加したことの連絡や通知を私は受け取っておらず、JSMB事務局に問い合わせをしました。

 

(以下私のメールの一部から引用)

日本物理学会のウェブページ(2020年11月17日にアクセス)で日本数理生物学会が2020年10月20日に共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」への参加を表明する記載を見かけました。私渡邉聡は本学会の会員ですが、この声明への参加に際して本学会の役員及び事務局及び運営委員いずれからも連絡や通知を受けておりません。また、2020年11月17日現在日本数理生物学会のウェブサイトでもこの共同声明への参加について伝える記述を見ることができず、さらにどの会則を根拠にして参加が行われたかも分かりません。私は本学会のこのような説明なき意思決定については疑問がありますので以下を提案します。

 1、共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」への参加を一旦取り下げ、日本数理生物学会の全会員に同声明への参加の賛否を問い、過半数以上の賛成が得られたら再度参加表明を行う。
 2、1の実行が困難であれば、今回の同声明への参加に携わった全ての会員の名前と参加決定までの過程を日本数理生物学会のウェブサイト上で説明かつ公開、加えて本学会の全会員へメールによって通知する。
 3、前二項の実行の有無にかかわらず、今後本学会が今回のような意思表明をする場合はどのような過程を経て行われるかについて本学会のウェブサイト上で説明、かつそれに伴い本学会の会則を改正をする。

 この問い合わせと提案は、日本数理生物学会が共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」に参加することへの賛否について意見するものではありません。またこの問い合わせと提案は本学会員の一人である私個人によるものであり、日本数理生物学会会則第7条「会員の権利」に基づくものです。私への政治団体、企業団体、その他団体や個人からの教唆や利益供与は一切ありません。

(引用終わり)

 

これに対し、JSMBから以下の返事が来ました。

 

(以下JSMB事務局からのメールの一部から引用)

本件についての経緯ですが、一部会員から共同声明への連名について提案がございました。
 その際に、運営委員会で議論を済ませております。その結果についてはメーリングリストへの投稿によってて(※原文ママ)、10/20の段階で周知をしたところです。
また、会員への周知ですが雑則第32条で会員への通知に関して郵送を原則とするが、緊急の場合、電子メールまたはメーリングリストbiomathへの投稿によって代えることができるものとするとしています。

 biomathへの投稿後に反対意見は頂戴しておりませんので反対はないものと理解をしています。

 ただし、学会としての意見を述べる必要がある場合どのような過程を経るとよいかについては会則にするかどうかは別として運営委員会で議論をさせていただければと存じます。

(引用終わり)

 

事務局の返事は、「声明への参加表明は運営委員会で決定し、JSMBのメーリングリストで(biomathという名前)周知し、反対意見も無かった」というものでした。メーリングリストbiomathに加入義務はなく、私は加入していませんでした。当時JSMBのウェブサイトでも参加表明についての記載がなかったので、私は知る術がありませんでした。

 

しかし、二つ疑問があります。一つは、何故声明への参加について提案があった時点で会員への連絡や通知をせず、運営委員会の決定を事後承認させる形にしたのか。もう一つは、何故加入義務の無いメーリングリストのみを通知の手段として、電子メールは使わなかったのか。

 

私はJSMB事務局にもう一通メールを送りました。

 

(以下私のメールの一部から引用)

ご回答ありがとうございます。私は2020年11月17日時点までにメーリングリストbiomathに加入しておらず、声明への参加表明についての通知を受け取ることができませんでした。今後今回のようなメーリングリストの運用があるのなら、メーリングリストbiomathは日本数理生物学会会員へ加入推奨ではなく加入義務付けをするようお願いします。また、日本数理生物学会のウェブサイトに、共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」への参加を運営委員会の決定のもとで表明した旨を記載するよう希望します。可能であれば、会則第32条「会員への通知」の適用にあたり、全会員への電子メールではなく任意加入のメーリングリストbiomathを使用した理由も併せて記載していただきたいです。

(引用終わり)

 

これに対してJSMB事務局からの返事は次の通りでした。

 

(以下JSMB事務局からのメールの一部から引用)

>今後今回のようなメーリングリストの運用があるのなら、メーリングリストbiomathは日本数理生物学会会員へ加入推奨ではなく加入義務付けをするようお願いします。

この件に関しては、一度運営委員会で諮らせていただきます。
ただし、この決定に関しては過去に議論があったうえで推奨としているものと理解しています。
私もそこまでの経緯は存じません。また、ホームページ上では「Biomathメーリングリストには,学会や会員からの重要な情報(大会情報、国内外の公募
情報、研究会や定例セミナーの情報、学会賞の情報など)が投稿されますので、日本数理生物学会に新規入会頂く際には合わせて登録をお願いしております.」と記載があります。ですので、重要な情報が流れる可能性があることは既に周知をしていると判断をしているところです。

>日本数理生物学会のウェブサイトに、共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」への参加を運営委員会の決定のもとで表明した旨を記載するよう希望します。

この点については私の作業が遅れていることからホームページへの掲載が遅れているところですので
簡単にではありますが、経緯をホームページ上で記載して情報を発信したいと存じます。

>可能であれば、会則第32条「会員への通知」の適用にあたり、全会員への電子メールではなく任意加入のメーリングリストbiomathを使用した理由も併せて記載していただきたいです。

先にも示した通り、「Biomathメーリングリストには,学会や会員からの重要な情報(大会情報、国内外の公募
情報、研究会や定例セミナーの情報、学会賞の情報など)が投稿されますので、日本数理生物学会に新規入会頂く際には合わせて登録をお願いしております.」と会員には周知しているという判断からです。そのため重要な情報に関してもbiomathで流すことはあります。
また、電子メールに関して登録不備者がいることがわかっているため、会員の情報を整理しているところでした。そのため、簡単に情報発信ができるbiomathを利用した所です。

会員全体に周知するした方がよいという点はその通りですので登録いただいている各会員が登録をしているメールアドレスに送付することである程度は対応できるかと思います。

(引用終わり)

 

2020年11月22日にJSMBのウェブサイトhttp://www.jsmb.jp/を見ると、

運営委員会の承認の上,10月20日付で共同声明「日本学術会議第25期推薦会員任命拒否に関する緊急声明」に参加しました(11/19/2020)

という記載が追加されており、私の要望の一部は叶えられました。学会全体の意思決定の仕方の改革は、運営委員会の連絡と周知を待つしかありません。

 

今回のように、学会が世間にある程度の影響を与える表明を組織全体としてするとき、運営側だけの議論で決定し、その他の会員には提案から決定までを事後通告して承認させてしまうやり方は早急に改めるべきです。しかも会員への通知が不十分な形で行われるのは受け入れ難いものです。

 

私はJSMBと事を構えるつもりはありませんが、組織をより良くしていくために役員や運営委員会、そして事務局の動きには注視し続けるつもりです。

HayekとFriedmanの本を探した話

2020年3月は引越しや実家への帰省があったので、京都、札幌、横浜の三つの都市に訪れました。この三都市の駅前には大型書店があるのですが、そこでFriedrich August von HayekとMilton & Rose Friedman 夫妻の本を探してみました。(マスクをしながら。)

 

するとどの店舗でも、Hayekに関しては全集は在庫切れ、かろうじて『隷属への道(The Road to Selfdom)』がある程度、Friedmanに関しては『選択の自由(Free to Choose)』があるかないかといった感じでした。それに比べてKarl Marxの『資本論』は数多く陳列され、それに類する関連本もよく見かけたように思われます。

 

日本にとってHayekやFriedman夫妻の知見はこれからも必要だと思うので、書店の仕入れ担当の皆様、どうぞご一考下さい。

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二十一世紀の平家物語(其の九・「新院崩御」から「入道死去」まで)

新院崩御
治承5年(1181年)、東国の戦乱や東大寺興福寺の火災によって、暗い年明けとなる。高倉上皇は心労が続き六波羅の池殿で崩御なさる。

https://youtu.be/fzOPOTmsNhU

 

廻文
源木曽冠者義仲は、父・源義賢の死後、信濃国へ落ち延び剛勇の武者として成長していた。お守り役である木曽中三兼遠と共に旗揚げの機会を窺い、書状を巡らし謀反の仲間を集めるのであった。

https://youtu.be/_0Vt5emH0co

 

飛脚到来
義仲の挙兵の報が都に届き、平家の人々は騒ぎ出す。東国に続き北国も謀反を起こしたからだ。さらに九州や四国からも謀反の動きが報じられる。

https://youtu.be/7jTVzvjdX9A

 

入道死去
公卿殿上人は平宗盛を大将軍として東国や北国の謀反人たちの討伐を企てる。しかし、宗盛の父である入道相国・平清盛が病気のため、出兵は取りやめとなる。清盛は熱病に苦しみ、ついに六十四年の生涯を閉じた。

https://youtu.be/yyvjB449x0o

 

「紅葉」から「小督」まで、「築島」から「横田河原合戦」までは未収録です。

 

【参考】
新編日本古典文学全集45 平家物語1(校注・訳 市古貞次、小学館

二十一世紀の平家物語(其の八・「文覚荒行」から「五節之沙汰」まで)

平家物語第五巻では、平治の乱以後伊豆に流されていた源頼朝が登場し、その決起が描かれます。

 

文覚荒行
源頼朝が挙兵したのは、高雄の文覚上人に勧められたからであった。文覚は元は遠藤武者盛遠という上西門院(鳥羽天皇第二皇女・統子)に使える衆の一人であったが、十九の時に出家して荒行、苦行を繰り返し霊験あらたかな僧になったという。

https://youtu.be/cQ-WzYd-oAM

 

福原院宣
文覚は伊豆の流人・頼朝と会談する。文覚は頼朝の父・源義朝の髑髏なるものを頼朝に見せ、決起を促す。頼朝は気が乗らなかったが、文覚は秘密裏に後白河上皇からの平家追討の院宣を承り、彼に手渡す。

https://youtu.be/681DNztn1Fs

 

富士川
福原から東国へ源氏追討軍が編成され、平清盛の孫・維盛が大将軍に、清盛の弟・忠度が副将軍となる。源平両軍は富士川を挟み対峙し、明日に矢合となった夜、平家軍は水鳥が飛び立つ音を奇襲と勘違いし、総崩れとなる。

https://youtu.be/pUWmK1pP6Zs

 

五節之沙汰
福原へ戻った維盛に対して清盛は激怒し、彼を島流し、侍大将の上総守忠清を死罪にせよと主張する。平家の人々は評議し、これを止めるのであった。

https://youtu.be/WpBG31TfCFk


「都遷」から「咸陽宮」まで、「勧進帳」、「文覚被流」、「都帰」、「奈良炎上」は未収録です。

 

【参考】
新編日本古典文学全集45 平家物語1(校注・訳 市古貞次、小学館

二十一世紀の平家物語(其の七・「厳島御幸」から「宮御最期」まで)

平家物語第四巻では安徳天皇の即位、以仁王の令旨、源平合戦の幕開けなど、前三巻では見られなかった源氏の動きが平家や朝廷の勢力争いに加わり、軍記物語としての平家物語が始まります。

 

厳島御幸
治承4年(1180年)、平家の力によって三歳の東宮践祚して新帝・安徳天皇が即位する。当時の人々は早すぎる譲位だと言い合うが、平時忠は和漢の先例を引き出して正当化する。有職故実に通じた人々はそれは良い先例なのかと訝る。

https://youtu.be/202R-bhWQHc

 

源氏揃
後白河法皇の第二皇子・以仁王は、故建春門院(平清盛の妻・時子の妹、後白河法皇の妃であり高倉上皇の母)から疎まれていたため世間に出ることなく時を過ごし、治承4年には三十歳になっていた。そこに源頼政が現れ、平家に対して決起を促す。以仁王は決意を固め、源行家に令旨を持たせ、東国へ下らせる。

https://youtu.be/LD-EvcCOEeU

 

鼬之沙汰
平宗盛後白河法皇の幽閉の解除を父・清盛に懇願し、それが許される。折節宗盛の許に以仁王(高倉宮)の謀反の報が入る。清盛もそれを聞き、福原から都へ戻る。

https://youtu.be/FRXdbp3t7v8

 

信連
謀反の試みが露見した以仁王は、三井寺へ逃げることとなる。平家の命を受け以仁王の住まいに押し寄せた役人たちに対し、留守を守っていた長谷部信連が奮戦する。

https://youtu.be/J-z7kGKLivM


橋合戦
以仁王は宇治の平等院で一時休息を取ることとなる。しかし、六波羅から平家の追手が出立し、宇治橋のたもとまで駆けつける。三井寺の僧兵と頼政がこれに対峙し、源平合戦が幕を開ける。

https://youtu.be/NbnvBVZhifw

 

宮御最期
平家の大軍は宇治川を渡り、平等院へ攻め込む。傷を負った頼政は子らとともに自害する。以仁王はなおも奈良へ逃げようとするが、その道中飛騨守景家の軍勢に追いつかれ、ついに討たれてしまう。

https://youtu.be/Dx16KFbH-lM


「還御」、「競」から「大衆揃」まで、「若宮出家」から「三井寺炎上」までは未収録です。

 

【参考】
新編日本古典文学全集45 平家物語1(校注・訳 市古貞次、小学館

二十一世紀の平家物語(其の六・「赦文」から「法皇被流」まで)

平清盛の娘・中宮徳子が皇子(後の安徳天皇)を出産し、平家にとって最高の時が訪れます。しかし、その後清盛の嫡男・平重盛が病に伏し死の床へ着くのでした。平家物語の中では、重盛は清盛を諫めることの出来る優れた人物として描かれています。

 

赦文
治承2年(1178年)、入道相国・平清盛の娘であり、高倉天皇中宮である建礼門院徳子が懐妊する。出産の無事を祈るため、物の怪や怨霊を慰めたり、非常の恩赦が行われる。とりわけ先の鹿ケ谷事件で鬼界ヶ島に流された丹波少将成経、康頼法師、俊寛法師の扱いが話題となる。

https://youtu.be/_LrpyyEYybQ

 

足摺
都からのお使いが鬼界ヶ島に到着する。俊寛は大いに喜ぶが、赦されて都へ変えることができるのは、成経と康頼のみであった。俊寛は人目も知らず泣き悶えるが、一人島に取り残されるのであった。

https://youtu.be/tPYrWlmASy8

 

御産
中宮徳子の出産がいよいよとなった時、御産平安と皇子誕生を願い多くの寺社で祈祷が行われる。清盛夫妻も慌てふためき、後白河法皇も祈りを捧げる。中宮は無事皇子を産み、一同は悦びの声をあげた。

https://youtu.be/t3nuRgw_k2g

 

大塔建立
平家が安芸の厳島の信仰を始めたのは、清盛が安芸守の頃、高野山の多宝塔の修理を命じられたことがきっかけであった。六年がかりの修理が終わり、清盛は高野山へ登り奥の院で不思議な老僧と出会い、厳島の修理を頼まれる。鳥羽院からの許可を得て厳島の社を建て替えると、清盛は夢枕に大明神の使いから託宣を受けるのであった。

https://youtu.be/xFZh2DoRSGc

 

辻風
都に辻風が吹き渡り多くの被害が出る。神祇官の占いによると、天下の重大時、戦乱の予兆だという。

https://youtu.be/nyMeqZQSU1E

 

医師問答
清盛の嫡男・重盛が病の床につく。心配した清盛は宋から来た名医に治療をさせようと提案するが、重盛はそれを断る。死ぬ運命にある時は治療を施しても無駄で、宋の医術を受けるのは国の恥だというのが彼の理由であった。重盛は四十三歳で生涯を終えた。

https://youtu.be/vdwSn1JWnBE

 

法印問答
重盛に先立たれた清盛は、いったん福原に戻り大軍を率いて京都へ戻る。後白河法皇は故少納言入道信西の息子・静憲法印を清盛の許へ遣わす。清盛は後白河法皇の度々の行動や決定へ苦言を呈するが、静憲法印はそれを聞き入れながらもうまく宥めようとする。

https://youtu.be/Ba5KbiBWUG0

 

法皇被流
さらに清盛は後白河法皇も鳥羽殿(現在の京都市伏見区)へ幽閉してしまう。静憲法印は清盛の許可を得て後白河法皇の様子を見に行くが、あまりの悲しさに涙を流す。

https://youtu.be/15mdlczJNhI

 

公卿揃」、「頼豪」から「僧都死去」まで、「無文」から「金渡」まで、「大臣流罪」、「行隆之沙汰」、「城南之離宮」は未収録です。

 

【参考】
新編日本古典文学全集45 平家物語1(校注・訳 市古貞次、小学館

二十一世紀の平家物語(其の五・「西光被斬」から「烽火之沙汰」まで)

「西光被斬」から「烽火之沙汰」までは後白河院とその側近たちの企てが平家に露見した顛末が語られます。

 

西光被斬

「鹿谷」で始まった平家打倒計画は、恐れをなした多田行綱が清盛へ密告したことによって急展開を迎える。

【アマチュア朗読】平家物語(巻第二・西光被斬(前編)) - YouTube

 

【アマチュア朗読】平家物語(巻第二・西光被斬(後編)) - YouTube

 

小教訓
逮捕された成親は、清盛の前で無実を訴えるが、すでに西光の白状によって企てへの参加を立証されていた。それでも成親は清盛の嫡男・重盛(小松の大臣)にすがり、死罪を免れる。

https://youtu.be/xwAkPEDrgmQ

 

少将乞請
丹波少将成経は、新大納言成親の息子であり、清盛の実弟・教盛(門脇の宰相)の娘婿である。清盛は初め成経を快く思わなかったが、教盛の出家まで覚悟した説得によって、成経も父・成親同様死罪を免れた。 

https://youtu.be/4Yi8PCD2psw

 

教訓状
清盛は、これまでの後白河法皇への奉公を顧みて、今回の企てに不満を吐露する。彼は法皇の幽閉を決意するが、嫡男・重盛が駆けつけ涙ながらに清盛を諫める。

https://youtu.be/5VVs9CpOdVk

 

烽火之沙汰
父・清盛への諫言を終えて帰宅した重盛は、自邸に兵を集める。先ほど清盛の館に集まっていた兵たちも残らずそちらへ集まった。重盛は自分の威信でこれだけの兵を召集できることを清盛に暗示し、後白河法皇の幽閉を思いとどまらせるのであった。

https://youtu.be/ZHsr3jkZxG0

 

平家物語第二巻の「大納言流罪」から「蘇武」は未収録です。

 

【参考】
新編日本古典文学全集45 平家物語1(校注・訳 市古貞次、小学館